私という人間

かつて私という人間は芯の芯に存在すると思い込んだ時期がある 10台半ばから30台の始め頃までだったか 己の芯へ向かって何度も何度も旅を試みた 闇の中へ向かって船を漕ぎ出すようにそれは激しい魂の底からの欲求だった しかし都度その願いは跳ね返された 私は何者なのか 人間は何者なのか 神は そして私の魂は一体どこにあるのか どこで生まれどこからやってくるのか 当時バブルの只中にいた私は美食へ旅へと青春を謳歌しつつもしかし持て余すほっどの問いに己を誤魔化しつつもこの思いは低層通音のごとく内奥でなり続けた

長い時をへ今私がたどり着いた場に私はいない いないからこそいる いないときにこそいると言い換えてもいい 己を空じるとき芯なる方あるいは真なる方は姿を顕す 捕まえようとすると煙と化す ただ全部手放したとき顕れる誰かがいる あるがままの己をこの手に掬い上げ受け止めるときその方は姿を顕す 般若心経の色即是空空即是空