すべてのことはメッセージ♪6

もうかなり前だったけど

私の田舎で吊り橋が落ちる甚大な事故があった。

そのとき運良く難を逃れた方がインタビューに応えてて

それをたまたまラジオで聴いた。

子どもと一緒に神社のお参りをすませ橋を渡ろうとしてたところ

子どもが売店に寄った。

いつもだったら「何してるの。早く来なさい」と言うんだけど、その時は

一緒に子どもに付き合った。その直後だった。

大爆音がして振り向いたら橋が落ちた。

 

またこんな話を何かで読んだ。

あの9.11の時何かを感じてなんとなくビルの外にでた。

事件が起きたのはその後だったと。この方は日本人だったけど

他にもおそらく同じように助かった方がいたのではと思う。

 

似た話よく聴いたり耳にしたりしますよね。

何か感じてたまたま降車したとか飛行機を見送ったとか。

 

ある男性が落ちて来た岩かをよけて助かったという話。

「危ない」って声を耳にしたと。

その声の発生主は「自分」だったと後に知った。

 

私たちは様々な形でそのメッセージを受ける。

だけど己のことだけにかまけていると聴く余裕がない。

目に見えないけれど確実に在る世界をも感じて生きていると

つねに何らかのメッセージを受ける。

あたり前のようにそこらじゅうにメッセージは在る。

 

少なくとも縄文人はそのように生きていたと

土偶が教えてくれた。

 

色即是空空即是色ということばが生まれたのも

そういう方々が確実にいてそういう方からの私たちへの

メッセージだと思う。