2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧

常に私たちに呼びかける存在がある それは私たちの深奥に在って 私たちを招き私たちは招かれる 私たちの深奥に在る”仁” その存在に出会ったとき 私たちは問われる わたしを誰と言うやと 問いに独りで答えなければならない これほど孤独な対話はない

他者に生かされて

食べたもので私の体はできていて 想ったもので私の魂は維持される 想ったものは次つぎにうつりゆき なので私は一瞬一瞬死んで生きる 私というものは元々なく数多の命 他者が私を生かし私は生かされる

聖書でいう永遠とは”いま”

昨日のことを悔やむ 昔の出来事に苦しむ 愛する者の死を悼む それはいつも”いま” 明日をあれやこれや 想像しては心を痛め 我が子の将来を悲嘆 それもいつも”いま” すべてを受けてこそ 生きることができる いまを生きるという 道元の而今の”いま”

生かされて

さまざまな思いが底から上ってくる 取るに足らない小さな想い 退屈だな 寂しいな つまんない あっ猫がいた(うれしい) 誤解されたのかな(悲しいな) その一つ一つが私を成している 遠い国の紛争かの地の災害 私の心の中に写り込む諸々 私の心をかき乱し不…

「私を誰と言うか」

生きてるなかであなたはイエスと呼ばれた方に出会う そのときあなたは問われる「私を誰と言うか」と イエスと応える必要はないあなたの言葉で答えればいい 人間であれば必ずや問われる日がくるそのとき あなたは独りでその問いに答えなければならない 答えな…

食べた想いで私の心はできている

食べたもので私の身体はできている 食べた想いで私の心はできている 降ってきた想いを食べている 毎日毎日毎瞬毎瞬食べている そして食べたものが何かをチェックする その正体を出来るだけ見るようにする 食べたものが何であるかを知らなきゃ 私は私が何者で…