新約

深奥からの声に応え見えない崖へ飛び込んだ。そこで出会ったのは聖書の中でイエスという方。

聖書の中で”わたし”と言う方に会いたい幼い私は素直にそう思った。

導く”声”があった。その時その声に従った、幸い幼かったから。

声の主はあなたの中にも厳然として在る方。あなたの心奥に住う方。

 

♪Everyday I listen my heart.

平原綾香さんの歌うjupterを初めて聴いた時鳥肌がたった。羨ましいと思った。このセリフを普通にそれもTVを通してエンターテイメントとして聴ける今の人たちが羨ましいと。

あなたの心の底深く住まう方がいる。私たちは一人ではない。私たちに聞く用意があればいつだって聞くことができる。ただ聞く用意がないだけ。余裕がないだけ。声にならない声は無視されてきた。人間側の知恵知識常識を言い訳に。常にそれらを神より上に置いてきた。心の声は無きものとして扱われてきた。声が存在するということを知らされることすらなかった。教会の中ですら。

 

エス(声)に出会ったことで聖書というものキリスト教というものに興味を抱き長い間探究したけれど教会内ですらこの声に言及する人はとんといなかった。ずっと後になって出会うことができた一人の神父を除いて。

 

関連の本も多数あたってはみたけれどいつも失望に終わった。エックハルトという神秘家がいたことはずっと後になって知った。

私はイエスは信じるけれどキリスト教には大して興味を持てないのはそういう理由だ。

声は聖書が描いてるところのイエスそのもの。出会うには内なる声を信じその声に導かれ聞き従い導かれ死を覚悟で崖を飛び越えることからしか始まらない。声の主は聖書の中で”わたし”と名乗る方。そう私のあなたの心奥に住まうかた。