2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧

仏と不仏と私

聖書の中で”わたし”と言われる方に会いたいと思った 小学高学年?だったか聖書というものに触れたとき いくつかの聖句が心にひっかかった 聖書の中で”わたし”という方に会いたいとなぜか思った 聖書は言った ”わたし”についてきたいと思うなら自分の命を捨て…

Notre-Dame

= Our Lady =聖母マリア =聖母神 =イエス(小さ子)懐妊 =イエスを受け入れる =聖母神誕生 =イエス誕生 =イエス復活 =イースター =あなたが復活

イースター

私たちの小さな想いを 一つづつ見ていくとき 私は何者かだれなのか すこしづつ観えてくる 押し殺してきた小さ子 嫌な記憶辛い過去など 取るにたらないことと 私たちが思ってること その一つひとつを観る ゆっくりでいい丁寧に そうしていく時何かが 復活する…

般若

招かれるままに 沼底に降り立った そのときの私の面 いわゆる般若の面 墓の中は一条の光だになく 私は恐ろしくて震え戦いた それでも招く声を信じて 沼底に降りていった そのとき初めて気づいたのだ あの鬼の形相のお面がなぜ 般若と名付けられているのか そ…

無かったことにして

無かったことにして 私は崩壊した 少しずつ少しずつ 崩壊した 子どものとき不思議な世界をみた でもそれは言ってはいけないこと 子どもごころに本能的にそう思った それで誰にも言わなかった 私が観た世界をだれも知らない ということにも気づいた 小さなこ…

いろんな私が。

「わたし」(I AM) いろんな私(i)がわたし(I AM)を成してる わたしと思ってる者は実はわたしではなく 私が無数に集まっているだけ その無数の私を小さ子とよぶ だがこの小さ子を無視すると 命が萎えるので要注意 私を俯瞰するとき わたし「I AM」は姿を…

どう言ったら

どう言ったらいいんだろう 真っ当な宗教はほぼ同じ世界を見ているということ その民の民族性あるいは伝承文化で伝え方は違ってるかも知れないけれど 私にしてみればほぼ同じこと 例えばキリスト教がマリアに描いたのは 仏教でいえば観自在菩薩に通じるし 宗…

道を断たれて子らがさまよっている 故郷を遠く離れて子らが泣いている 延々と培ってきた空じる術を伝統を 私たちはどこに捨ててきたのだろう 顔を黒く染めて娘らが彷徨っている 故郷とおく求めて子らが泣いている 大黒さまの諭しも 浦島太郎の警告も そこへ…

まなざし

まなざしが映し出すものは 余すことなくあなたの中に 母と父は聖母神と聖父神の印章(しるし) 子らは育み育てていかなければならない あなたの可能性 愛しくてやっかいで憎たらしい子どもたち 彼らを抱きしめるとき あなたは呼吸(いき)る 愛を映し出す憎…

天からの食物(マナ)

かつて美しと思ったものが いまはすっかりいろあせて 矯めることなく 加うることなく あるがまま 差し引く事なく そのままが 天からの食べ物 自分自身でありたい そこへの道が見出せず 永々と続く暗闇の時を 果てのない絶望の時を 人と神の不思議な相克 矛盾…

奇跡

なぜ想うことができるのか 何者でもないのに なぜ苦しむことができるのか なにも持たないのに 想うことができること 感じることができること これが奇跡 真理は神のあけっぴろげの秘密

汝殺すなかれ

無限に広がりゆく 人の可能性に 限界をもうけるとき 枠をはめるとき 善悪の判断を下すとき それは神への逆らい 汝殺すなかれ あなたのなかの どんな小さな思いも 殺すことないよう ありのまま映すとき 水は流れ 流れの上を 風は吹く

いのちはひとつながり

いのちはひとつながりだということを 身をもって教えてくれたのは愛犬のの子だった それ以前にもそんな体験つまり他の生き物の 存在を感知するという体験をしたはずだったのに 17年半という長い時間を通してゆっくりじっくり のの子は私の身にそのことをしみ…