沼底駅に降り立って

自分の中の泥ドロを見ずして真の自分には出会えない

長年蓋をしてきたのでそこから出てくる悪臭たるや想像を絶する

いやその前に鬼が出てくるか蛇が出てくるか

恐怖で脚がすくみとても踏み込む気になれない

何度も何度も回避したあげくもうこれ以上逃げ切ることはできないと

ようやっと足を踏み入れた

 

私にとってこれほどに恐怖を感じたことは自分の人生でそれまでなかったこと

耐えられなくなったら止め再びその時がきたら挑戦する

ということを繰り返すうち観えてくるものがあった

 

般若の面が鬼の形相なのに般若(悟り)と呼ばれるその意味を

なんだか分かったような気がしたのだ

闇を除く時の私の顔が鬼そのものだったから

そして己の闇の中に何かを観た

屍累々の己の闇の中に新しい命を観た

 

”マリアは墓を覗いた”聖書は言う

 

ヒカリ2

日曜学校が終わり教会の庭に降り立ったとき

光の束が私の額を貫いた

 

なに

今のなんなの

何が起こったの

 

「神は愛である」

同時に光は”ことば”をともなっていた

 

長い求道の日々の始まりだった

それを機に初めて自ら聖書を手にとった

 

聖書の中で”わたし”と言う方に

そのかたに会いたい

ただそう思った

 

「私の後に従いたい者は、おのれを捨て、日々、自分の十字架をになって私に従いなさい。」ルカ9章23節

自分を捨てるとは自我を捨てること子ども心にもそう受け止めた

 

”わたしだ”深奥で確かに聞いた

聖書のなかで”わたし”という方は

私の心奥に在った

 

聖書が言ってるのは普遍の事実の告白です

宗教に限定されることでもなく

”ことば”が言ってることは人類の普遍的真理です

 

 

 

 

 

ヒカリ

神様って

生きるって

この問答を繰り返し繰り返し毎日毎日足掻いてた

もう何も分からなくて何をどうしていいか迷路に入ってしまった10代半ば

真っ暗闇のなか遠くはるか遠くぼんやりと光が見えた

光がある

いつかあの光の下にたどり着けたなら

この闇の底から抜け出せる

それだけが唯一ののぞみだった

およそ20年後それは現実となった

光は神さまからのサイン

神さまから呼びかけ

 

魂は時空を超える

魂は時空を易々と超える

縄文時代土偶たちと初めて対面した三内丸山遺跡

入り口を入ったところで予想を超える事が起きた

のっけから私の魂は金縛りに

彼らの放つ圧倒的なパワー

立ち去ることができなかった

彼らの放つ暖かさ親近感

異次元だ

 

これはまあ特殊な例かも知れないが

私たちは日常的にあらゆる人びとあらゆる生き物と

時空共にしてる

亡くなった人ともだ

何百年も前の書物を通してその著者と心を通わしたり

その中のたった一文一言で現在を生きる私の疑問に答えてくれたり

生の根源に関わる謎を解くヒントをくれたりもする

 

日常のあらゆる場面を

これまで出会った人

読んだ本傍らにいたワンコ

その時咲いてた花花

さまざまなシーンで思い出す

庭にあった葡萄の木白いスイセン

 

校庭の木々のなか ”だるまさんがころんだ”

思ったその時その場にタイムスリップ

そんな時も私たちはいつも今ここ

時空を超えていつも今ここを生きている

 

 

生まれる前から私はあなたを知っていた

私の中には数えきれない多くの顔がある 

多重人格の話をしてるのではありません

幼き日私は両親を始め家族や私の周りにいた人びとから言葉というものを覚えていった

保育園小学校中学校そして高校と進んでその時その時周りにいた友達や先生たちにも当然影響を受けて育った

その時どきの彼らの言葉しぐさ幼児期はほぼそっくりそのままだ

ゆえに生まれ土地の方言を操ることができた

甥っ子が幼稚園児の頃のことだが私に童話を話して聞かせてくれたことがあった

”おお方言を喋ってる!この子は天才か”と感心したことを覚えている(笑)

 

私というものを成してる”ことば”は彼らからの預かりもの借りものだ

長じるに従って本も多数読むようになった自分でお金を稼げるようになってからは多少は映画音楽演劇にも触れていきそれらが私というものにさらに肉付けしていった

これまで出会ったあらゆるものが私を形作ってきた

 

ただそれだけではないことに私は人間存在の不思議を見る

”思うことができるそれが奇跡”

私たちの奥の奥には魂の種があってその種の中にはさらに芯なる仁があって

その仁が発する”ことば”と成長するにつけ身につけてきたことばとの対話によって私という人格が形成されていったと思っている

その仁はどこからきたのかは謎だが生命のタネだと私は思っている

仁というものに気づいたのは10ばかりの頃

そのときの体験は生まれて初めての大きな衝撃だった

その事はまさに青天の霹靂と言っていいほど私の魂の方向を決定的に方向づけた

 

しばらくはその事実を信じて受け入れていた

が時を経るほどに気づいた他の人は誰も知らないようだと

周囲との違和感は子どもにしてみればそれはそれは強烈だ

さらに思春期を迎え魂ではなく頭で考えるようになる

するとそれは矛盾に満ちていて私の中で違和感が生まれ

苛まされるようになり居心地の悪さが日々増していった

 

事実を拒絶し世間を常識を優先し結果私は壊れた

10数年という時が流れ己の中の戦いに耐えられなくなった私は白旗をあげた

もうどうにでもなれとね

どうなってもいいからあの原点に戻ろうと

私がしたことといえばこの決断だけだったのだが

そこで再び仁に出会った

己自身に帰ることができた

あるがままの自分そのままの自分に戻ることができた

 

私というものがあるのではなく”仁”とその時々で出会う言葉との対話で私は生まれ続ける

死んで生まれ生まれて死ぬをずっと繰り返していくのだろう

 

実は仁に気づく前も出会っていたのだけど認識はしてなかった

”彼”は”違う”というやり方で私とコミュニケーションを取っていたのだ

答えはわからないが”違う”ということはわかっていたから

 

”ああ生まれる前から私はあなたを知っていた”

 

 

 

いつでも一緒いつでも今ここ

本で出会った人TVやラジオを通して知った人旅先で出会った人ただ単に挨拶を交わしただけの人レストランで隣り合わせ目と目が合っただけの人もちろん家族学校仕事で知り合った人すべてすべて私の中に

傷つけてしまった人私を傷つけた人一緒に喜び合った人悲しみを共有した人縄文時代を生きた人17年半生活を共にしてくれた犬ののの子去年突然逝ってしまった妹皆みんないつも一緒時代場所過去未来なんの垣根もなく思った時その時いつでも一緒

あの時聞いたあなたの言葉そっくりそのままあの時流れてた空気そのまま思い出すその時は今

3年前に逝ったのの子はしょっちゅう私の前に顕れ私を見つめ私の足元に絡みつくシャンプーすると熱いよと訴える

妹に時々ラインを送ったり話しかけたりするコロナが落ち着いたらどこに食べに行こうか洋服買うの付き合ってねそうそんな時それは過去じゃないいつでも今そして現実

 

新約

深奥からの声に応え見えない崖へ飛び込んだ。そこで出会ったのは聖書の中でイエスという方。

聖書の中で”わたし”と言う方に会いたい幼い私は素直にそう思った。

導く”声”があった。その時その声に従った、幸い幼かったから。

声の主はあなたの中にも厳然として在る方。あなたの心奥に住う方。

 

♪Everyday I listen my heart.

平原綾香さんの歌うjupterを初めて聴いた時鳥肌がたった。羨ましいと思った。このセリフを普通にそれもTVを通してエンターテイメントとして聴ける今の人たちが羨ましいと。

あなたの心の底深く住まう方がいる。私たちは一人ではない。私たちに聞く用意があればいつだって聞くことができる。ただ聞く用意がないだけ。余裕がないだけ。声にならない声は無視されてきた。人間側の知恵知識常識を言い訳に。常にそれらを神より上に置いてきた。心の声は無きものとして扱われてきた。声が存在するということを知らされることすらなかった。教会の中ですら。

 

エス(声)に出会ったことで聖書というものキリスト教というものに興味を抱き長い間探究したけれど教会内ですらこの声に言及する人はとんといなかった。ずっと後になって出会うことができた一人の神父を除いて。

 

関連の本も多数あたってはみたけれどいつも失望に終わった。エックハルトという神秘家がいたことはずっと後になって知った。

私はイエスは信じるけれどキリスト教には大して興味を持てないのはそういう理由だ。

声は聖書が描いてるところのイエスそのもの。出会うには内なる声を信じその声に導かれ聞き従い導かれ死を覚悟で崖を飛び越えることからしか始まらない。声の主は聖書の中で”わたし”と名乗る方。そう私のあなたの心奥に住まうかた。