なにをおそれるか3

 

♪神さま神さま私たちをあなたの良い子にしてください♪

日曜学校で数えきれないほどに歌った

いつしか良い子でないこと良い子でなくなることに恐怖した

間違わないよう間違った生き方をしないよう毎日ビクビク

 

ところで”神さまの良い子”って?

今私は知ってる

神様の良い子といわゆる良い子は違うこと

だけど子どもだった当時の私には分からなかった

ゆえ全く逆の世間に迎合することが良いことなのかと混乱した

いわゆる良い子イコール神さまの良い子なんだと

 

しかし神さまの良い子は魂の声に耳を傾けること

ゆえ神さまの良い子は時にいわゆる良い子でなくなることもある

あえて良い子を止めなくてはいけないこともある

 

字面で読み字面で理解しようとして闇に落ちてしまったのだ

聖書は本来人側の言葉ではなく神側のつまり魂のコトバだから

字面で読んだら曲解してしまう

魂で受けとめなければ真の意味は伝わらない

そこのところを聖書を伝える人は心して欲しいと

(幼かった)わたしは希うのです

 

 

 

 

今を生きる

 
いま感じてることを
いま思ってることを
すべて受け入れると
いうことはあらゆる
想い荒れ狂う思いに
心を添わせることだ
 
世の常識を逸した事
人類の教科書にない
できごとあらゆる事
しかしそれは自我の
死を意味しその自我
は死に物狂いに抗う
 
気づけばまた自我の
餌食に真莪はいとも
たやすく妄想に消る
生きる屍と化す前に
せめて日に幾度か心
するいまを生きると
 
 
 
 

もうけものの人生

 
 
導いてくれたこれまでのことを捨てさるよう促された
内的促しと呼ばれるものでたっぷり3年4年と続いた
それまで己を支えてきた思想及び神秘体験を含む諸々
それらすべて捨て去るようにという促しだ
 
その理由は独り立てということだと理解している
たった独りで立つことこそが人間の目的なのだと
他者の目からも己の目からも解き放たれなければ
全き自由にならなければ真莪に出会うことはない
 
これまで諸々といったん決別しなければならない
どんな過酷な決断でも必ずや助けの手が現れる事
決心さえすれば腹を括りさえすれば必ずや助けが
分かっていても何度体験してもその度恐怖が襲う
 
しがみついて来たものから手を離す勇気がなくて
脚がすくみ引き返したいという思いにかられても
そしてその誘惑に負けてまたもや数歩後退しても
こうして生きるしかないし生きて行くことだろう
 
それでも感謝しかないこれまでの我が人生
数かずの試練があったからこその我が人生
生命の神秘の端緒に触れる事ができただけ
もうけもの人生だったと心より思うこの頃
 
 
 
 

流れに添うて

 

心の流れをながめる

様々なものが流れる

その一つ一つに心を

添わせる一つ一つに

 

我が物顔に操作する

ことなく一つひとつ

流れくるものを愛で

つつ死ぬまで生きる

 

初めて会う気持ちで

一つ一つにときめき

そんな風に生きたい

と願う今日このごろ

 

 

初めまして

初めまして”わたし”というあなた

 

あなたは何を思い何を感じているの

 

知らない海に入るように探検します

 

まるで記憶をなくした人間のように

 

 

毎瞬間死んで生きようとおもいます

 

どこかでお会いして気づかないかも

 

だけどあなたのことが嫌いだという

 

ことではないのですただ一つ息して

 

 

一つ吐いてその度死ぬただそれだけ

 

そう昨日のわたしは死んだのですよ

 

あっち(彼岸)に行ったりこっちに

 

来たりそう生きられたならしあわせ

 

 

 

 

ほんとの自分を生きる

 

こんなタイトルつける理由とは!?

それはどうしても世間に迎合してしまう自分がいる から

真に力(パワー)があるのは真莪だと分かっていても

己に逆らわずごまかさず誠に生きることだと

知っていてもいや知っていながら

 

現実(の世界)に生きていると

知らず世間に迎合して生きてる己がいる

それもかなりほとんどの時間を

他者といるときは特にも

仏頂面してたんじゃないかとか

時には愛想笑いしなきゃとか

そうやって迎合してしまう

 

 

人におもねらずおごらずただただ自分自身でありたいと

そう生きる時間が増えることを希うこのごろです

 

 

地球に落ちて来た男

 

「地球に落ちて来た男」という言葉を聞いたとき、「そっか、自分のことをそう思えたならばずいぶんと楽だったのではと」と思った。私だけではなく一番関心のあることを共有する相手がいないと嘆いてるあるいは嘆いたことのある人にとってこの言葉は共感できるのではないかしらん。

 私たちは誰一人として自分の感じたこと思っていることのすべてを共有することはできない。だから人間は基本孤独な生き物なんだと思う。個をとことん尊重した結果だとはいえるのではある、だけどそこに人の尊厳をみるようになるまではこれは相当過酷な環境であると思う。子どもにとっては特にも。

他者とことば(心)が通じないと思ったことないという人少なくないと思う。

特に思春期なんて時期はどっぷりど真ん中。

自分自身異星人かもとまでは思わないまでも孤独という生半可な言葉では表せないほど周りとの違和感を感じていた。

当時「地球に落ちて来た男(女)」って言葉を知っていたなら少しは気がまぎれたかもと思う。

だって事実私たちって言葉では真には心を通わす事はできないもの。それどころか誤解しあうことの方が多い。

宇宙から来たと思えば通じなくてもまあ寂しいけど仕方ないかって思えるじゃない。

それにまんざら嘘でもないと思う。だって思う事が出来ること自体が私にしてみれば奇跡であって、この「思い」ってどこから降ってくるの?

それに私たちの肉体を作っている物質も地球を構成してる物質も宇宙からじゃない?。

 

だけど言葉に頼らず通じるということがあるのも事実で、これが起きるのは全くもって奇跡に近いことだけど実際「ある」のです。

それも人間間だけのことではなくて他の動物や植物とでさえもね。

このことを一度でも体験したなら生きていけます。

そしてこのとき宇宙との一体感を感じることになります。

 

ちなみに「地球に落ちて来た男」これはデヴィド・ボウイの主演映画のタイトルとのこと。