どう言ったら
どう言ったらいいんだろう
真っ当な宗教はほぼ同じ世界を見ているということ
その民の民族性あるいは伝承文化で伝え方は違ってるかも知れないけれど
私にしてみればほぼ同じこと
例えばキリスト教がマリアに描いたのは
仏教でいえば観自在菩薩に通じるし
宗教ではないが日本昔話に出てくる小さ子(一寸法師やうりこ姫)の話は
マリアの子として生まれた小さなイエスに
いづれもあまりにも小さくあまりに無力で
人間はその存在をどのようにでもできるということ
押さえつけることも見なかったことや亡きものにすることも
イエスの十字架の意味の一つはそのこと
己の中にある嫌な面は無かったことに
指摘された欠点は聞かなかったことに
世間の常識にあわないことは気づかなかったことに
そうやってものの簡単に消し去ってしまう
マリアが神の申し出を受けてイエスが生まれ
翁と媼が願掛けて生まれたのが一寸法師(法を説く師)
私たちはまず申し出を聞かなかったことにする
受けたあとも都合悪くなると否(non)という
小さ子はあまりにも小さくて忘れ去られてしまう
気をつけてなければいや気をつけていてさえ
いとも簡単にその姿を見失ってします
人間て神様ってなんでしょうね