ことば以前の世界

「あなたに会いたい」(聖書の中で”わたし”と名乗る方に向けて)

”わたしだ”(言葉ではなく確かに私は聴いた)

 

”ここの近くに住むよう”(自転車道路を走っていた時突然降りて来た言葉ではない”ことば”その理由は数年後知ることに)

 

「どこでしょう」(店の移転先を探していたとき)

”ここ”(通りかかったある店先で言葉としてではなく”思い”として降ってきた)

「どこでしょう」(次の借りぐらし先を模索してたとき)

”ここ”(映像が降りて来た)

 

土偶たちは溢れんばかりの”愛”で私を包み込んだそしてしばらくそこを立ち去ることができなかった(かつて新宿であった三内丸山遺跡展でのできごと)

 

道がAとB二つに分かれているときAに対して”No!”と思いが降って来たならそこで止まることを私は知っているたとえそのことで不快に思う人があったとしても選ばない理由にはならない