般若の面の

促しにそって沼底へ

真っ暗な闇を降りていく

恐怖に震えながら

鬼が出てくるかそれとも蛇(邪)か

あらわすであろう姿に

恐れ慄いき

命がけで降りていく

いつしか己の顔があの般若の面に

なってるのに気づく

 

恐る恐る目を凝らすと

己の姿の向こうに何かが映し出され

その映し出されたものはさらに対の鏡に

さらにその対の鏡に

折り返し折り返し終わることなく映し出していた

それは”気づき”そのものだった

 

そうだったのか

だからあの面は般若(悟り)と呼ばれるのか