シュレ猫

シュレディンガーの猫という立派な物理学用語があるらしい。竹内薫さんのネコメンタリーで知った。竹内さんは略してシュレ猫と言っていた。知ったといっても内容なんて私にはとんと理解できないけれど、ただ「一匹のネコが死んでいても生きていても不思議ではない」ということばだけを私の脳は抜き取ってしまった。

 

ネコはあの世とこの世を行ったり来たりしてるなんてことばを以前耳にしたことがある。そのとき、ああそもありなんなんて思った。

およそ30年ほど前神父さんの庵を訪ねたときのこと。そこに毎日ごはんをもらいに来るネコがいた。飼われてるような外ネコのような感じで気ままに過ごしてるようだった。

 

その庵に初めて泊まりに行ったときのこと、ミサが終わり暗闇の中を食堂と言われてる皆が集まるところへと向かっていたときのこと。そのネコさまが私の足下を絡みながらついてきた。

その話を近くにいた人に話した。それを耳にした神父さん曰く。

「ネコは分かるんだよ。」

 

ネコは半分死んでて半分生きてる

この私も全く同じだとずっと以前から感じてる。

そう、子どもの時分からそんな感覚があった。

 

この目に見える世界と目には見えないけど

確実にある世界そしてこの目に見えない世界のほうが

よりいっそう現実なのだ。