喉から手が出るほど知りたかったこと4
1)で書いた体験がどういうことだったのか何を意味するのか知りたくかつ自分が体験したこと観た世界は本当だったと確認したくその後喘ぎもがき続けた。それは長く永い時を要した。
誰も知らないようだと気づいた私は己を疑うようになって、そして浦島太郎がしたように玉手箱を開けた。体験した事をそのまま抱いていればいいものを、理解しようとしたのです。太郎がおじいさんになったように私もすっかり老いてしまいました。一気に生気を生命力を失ってしまった、のです。
しかしあの生命に満ち満ちた世界が恋しくないはずがありません。
中学高校生になってからは誰かそのこと書いてはしないかと図書をあさり、教会で講演があるたび足を運びましたが誰ひとりいません。
大人になった私はいつしか諦めるようになってましたいた。それまでもずっと探し続けたのですがどこにも誰にも出会えなかったのですから。
つまらない。この世は生きる価値がない。
生きる気力をすっかり無くした30代後半の私がいました。
この世の楽しみつまり若者がしたいと思う楽しみ、食べ歩き旅行ファッションいつしかそれらで気をまぎらわしたあげくの絶望でした。
こんな世界だったらこっちから願い下げ、蹴飛ばしてやろう。
その前にも一度あの原点にもどると決めたとき、そのとき、風がおこり世界が動いたのです。(続く)