仮暮らし

古墳の丘を背に私のアパートはある

子どもの頃からこの丘には度々誘われた

人ではなくこの地が私を誘ったのだ

都会暮らししていた若い時分夢を見た

数十人の人たちが私にこっちにおいでと

首を少し動かして促した

着ているものは現代の人のようではなく

古代の人のようだった子どももいたのを覚えてる

彼らが立っているその背景はどう考えても

身に覚えのあるあの丘に違いなかった

「ああいつか私帰るんだな故郷に」

そんなことがあったことを先ごろ思い出した

 

私は度々引っ越しする都会にいた時で6,7回

田舎に帰ってからも実家での居候を含めるとそれよりかもっと

したくてそうしたというのではなく何とはなしに次の仮住まいを促されるのである

自転車で勤め先に向かってたある日のこと声(想い)をきいた

「この近くに住まなくちゃ」

3年後ひょんなことからそれは叶った

貸家の台所の窓には都萬神社全体が映った

神社の御祭神の御陵墓があの丘にはあった

 

神道に特に興味があったわけではない

agathaという名は洗礼名サンスクリット語で亜伽陀(亜は万物の根源・伽陀は仏様を賛美する歌)

私にとって全ては根は同じそこに少しも疑いはない

いのちはいのちなのだから

 

すべての人におそらく時代を超えた縁のある人や土地があるのだと思う

 

 

 

 

しかし今ようやくここに住む

 

これまでいろんなところに呼ばれ誘われた

かつては無意識に目覚めてからははっきりとその声を聞いた

住むべきところに限らず私たちは誘われる

 

今のあなたはこれが必要ですと摂るべきものが示される

内なる方はあれが飲みたいこれが食べたいと言う

聞く気持ちがあれば打ち消さなければ誰も

声は聞こえる

 

泣いて訴える子怒りをぶつけてくる子

喜びに身震いする子どの子もどんな小さ子も

すべてあなたをあなたたらしめる存在

不名誉な存在だからと心から追い出すと

生命は萎えるとエミリー・ブロンテ

嵐が丘」に生命の秘密を描いた