ほんとにあったウソのようなはなし

9,12

当時新聞もTVもなかった私が9,11を知ったのは

翌日の9,12だった

地元の温泉の休憩広間でさっきから同じドラマを

延々と繰り返してることに気づいた

なのに誰も何も言わない

チャンネルを変えようともしない

 

隣にいた母に聞いた

「何これ?」

あきれたように母は言った

「あんた知らないの?」

 

ブッシュ!

事件を知った私に降りてきた”名前”

 

 

表裏一体

Not too much God,

not too much selfish.

Otherwise,life too crazy.

You lose balance,

you lose power.

 

In mornig, you do meditation from India.

Serious, very serious.

In day, you enjoy Bali.

 

私たちはどちらかに偏ろうとする。

善or悪 右or左 神or自我

 

しかし

”神はあなたの中にいる

神は私と共に私の中にいる”

God dwells within you as you.

God dwells within me as me.

 

神&人 聖&俗 表&裏

私たちはしかしどちらか一方に寄ろうとする

一方だけを取ろうとする

表があれば裏があるのが必然なのに

裏を消し去れば表も消える

 

 

(英語表記部分は映画 eat pray love から)

 

 

Jupiter

♪Every day I listen to my haert

ひとりじゃない

深い胸の奥でつながってる♪

 

平原綾香が歌ったJupierを初めて聴いたのは確か紅白だったと思うが

衝撃だった

この言葉をエンターテイメントとして聴ける人が羨ましいと

そのとき思った

 

この世界を知ったのは小学生のときだったが肯定してくれる人は

誰もいなかった

 

♪このそらの御胸に抱かれて♪

そう私たちはすべてと繋がってる

そのことを体験したとき歓喜に包まれた

だが長くは続かなかった。

知ってる人は誰もいないと気づいたから

それから自分を疑うようになった

 

♪夢を失うよりも悲しいことは

自分を信じてあげられないこと♪

自分が信じられないこと

自分を疑うこと

これほど悲しいことは人生においてない

 

♪Every day I listen to my haert♪

そしていつも応えは帰ってくる

 

 

以上たまたまつけたTVで平原綾香さんが歌ってて

思ったこと

 

 

 

 

矛盾のきわみに

すべてには表裏があって

その片方だけでは真は観えてこない

仏法が中道を言うのはそういうことだと思う

 

その双方を観ることで全体が観えてくるそして

全体を観ないことにはコントロールすることはできない

 

しかし私たちはその片方の面だけをみるよう

生まれ落ちたときから促される

 

良い子でいなさい

親の先生のいうことをききなさい

 

それは悪いことそんなこと言ってはいけません

人を悪く思ってはいけません

 

そして私たちはそれらを捨てさる

捨て去ったと思い込んでる

 

しかしそれらは裏に隠れてるだけ

蓋のしたにはそのまま残っている

 

観ないかぎりそれらは流れていかない

観るから水に流れていく

 

この真理になかなか思い至らない

矛盾の極みに真理があることに

 

掴もうとすると煙と化す

鏡→かがみ→鏡→かがみ→

かがみ←鏡←かがみ←鏡←

永々と繰り返す

ここに真の世界を観る

感じ触ることのできる確かな世界

しかし掴もうとすると煙と化す

 

このカラクリを知らず

悩み苦しみもがきあがいた

ついに降参し両手を挙げ

手を離したそこに秘密があった

 

そこに観たのはかがみ

鏡が映し出した己の暗闇

醜さ卑称さ辛さ痛み後悔

だがその向こうにまた鏡が

 

わたしを抱きしめ赦るし

慰さめ包み込む何者かを

鏡は映し出した

神秘の扉が開いた瞬間だった

 

 

 

すべてのことはメッセージ♪6

もうかなり前だったけど

私の田舎で吊り橋が落ちる甚大な事故があった。

そのとき運良く難を逃れた方がインタビューに応えてて

それをたまたまラジオで聴いた。

子どもと一緒に神社のお参りをすませ橋を渡ろうとしてたところ

子どもが売店に寄った。

いつもだったら「何してるの。早く来なさい」と言うんだけど、その時は

一緒に子どもに付き合った。その直後だった。

大爆音がして振り向いたら橋が落ちた。

 

またこんな話を何かで読んだ。

あの9.11の時何かを感じてなんとなくビルの外にでた。

事件が起きたのはその後だったと。この方は日本人だったけど

他にもおそらく同じように助かった方がいたのではと思う。

 

似た話よく聴いたり耳にしたりしますよね。

何か感じてたまたま降車したとか飛行機を見送ったとか。

 

ある男性が落ちて来た岩かをよけて助かったという話。

「危ない」って声を耳にしたと。

その声の発生主は「自分」だったと後に知った。

 

私たちは様々な形でそのメッセージを受ける。

だけど己のことだけにかまけていると聴く余裕がない。

目に見えないけれど確実に在る世界をも感じて生きていると

つねに何らかのメッセージを受ける。

あたり前のようにそこらじゅうにメッセージは在る。

 

少なくとも縄文人はそのように生きていたと

土偶が教えてくれた。

 

色即是空空即是色ということばが生まれたのも

そういう方々が確実にいてそういう方からの私たちへの

メッセージだと思う。

 

 

 

シュレ猫

シュレディンガーの猫という立派な物理学用語があるらしい。竹内薫さんのネコメンタリーで知った。竹内さんは略してシュレ猫と言っていた。知ったといっても内容なんて私にはとんと理解できないけれど、ただ「一匹のネコが死んでいても生きていても不思議ではない」ということばだけを私の脳は抜き取ってしまった。

 

ネコはあの世とこの世を行ったり来たりしてるなんてことばを以前耳にしたことがある。そのとき、ああそもありなんなんて思った。

およそ30年ほど前神父さんの庵を訪ねたときのこと。そこに毎日ごはんをもらいに来るネコがいた。飼われてるような外ネコのような感じで気ままに過ごしてるようだった。

 

その庵に初めて泊まりに行ったときのこと、ミサが終わり暗闇の中を食堂と言われてる皆が集まるところへと向かっていたときのこと。そのネコさまが私の足下を絡みながらついてきた。

その話を近くにいた人に話した。それを耳にした神父さん曰く。

「ネコは分かるんだよ。」

 

ネコは半分死んでて半分生きてる

この私も全く同じだとずっと以前から感じてる。

そう、子どもの時分からそんな感覚があった。

 

この目に見える世界と目には見えないけど

確実にある世界そしてこの目に見えない世界のほうが

よりいっそう現実なのだ。