ジキルとハイド

 
自分の中に闇を見それらを丸ごと受け入れるには命を削る覚悟なしには出来ない。
実際は命を削るという言葉すら甘くてある意味死ぬ覚悟で望まないと出来ない。
 
己の闇を観ることの過酷さをつぶさに描き出している映画「ジキルとハイド」。
Mary Reilly 役のジュリア・ロバーツが非常に細やかにその過酷さを表現している。
Maryの中のジキルとハイドその統合の物語。
原題は Mary Reillyでジキル&ハイドではないところがみそ。
 
「ハイド」隠されてるあるいは隠してきた面をしっかり受け止めてこそ人格は統合される。だけどこのカラクリはなかなか分かり難かった。人生の半分を費やしてなお難かった。気づけばつい都合の悪いことはなかったことにしようとしている。
ラクリが分かった今も闇の蓋を開けることはその度勇気がいる。
だけど意を決して蓋を取ったとき命の神秘を知る。
 
聖書は墓(闇)を覗き込むマリアとして物語った。
屍累々の墓を覗き込まない限り真実は得られない。