すべてのことはメッセージ♪5

お盆を過ぎたころから風がかわる

今朝アイスからホットコーヒーへ

 

ある整骨院の名を耳の端でキャッチ足の痛みを訴え

なんとなく気になってた骨盤のゆがみ指摘され合点

 

何もしたくないじっとしていたい気分のときは

そんな日々がずっとつづいても逆らうことなく

 

動くべきときはかってに体が反応

気づいたときには自ずと動いてる

 

無理に事を起こすことなく

事はじねんに湧き生まれる

 

すべてのコトをそのまま受け

あなたのそのままを受け入れ

 

あなた自身を信じて逆らうことなかれ

あなたと共なる神に逆らうことなかれ

 

 

 

 

 

マリアに倣って

共にいる存在はいつもあなたに呼びかけている

けっして沈黙なんぞしてはいない

聞こえないのはあなたに聴く気がないだけ

あなたが耳を塞いでるだけ

 

呼びかけに応えて

「はい」と言うとき何かが生まれる

マリアが呼びかけに応えてイエスが誕生したように

聖なる存在に気づくようになる

 

その聖なる存在も誕生とともにその命を

時の権力者に命を狙われたように同じように

あなたの中の権力者は亡きものにしようとする

うまく逃避行を続けられるかはすべてあなたにかかっている

 

 

自身ほど謎の存在はない

 

 

自分という存在のいかに謎に満ちていることか

自分ほど謎な存在はないと思います

一人の人間は無数の他人を含んだ存在だから

 

若かったとき演劇って何だろうと考えたことがあります

ウソっぽいよね

少なくとも真実ではないよねって

 

ある日他者のクセを真似てあることに気づきました

脳内での真似でしたがなんとなくその方の思いに

触れたような気がしたのです

 

このちょっとしたことがきっかけで

例え脳内であろうと他者のクセを真似たなら他者の

少なくともその時点での心境が少し理解できると

 

演劇ってそういうことかなって役者は

幾つもの他者を真似ることによって他者と共に生き

そのことに思い至るのではないかしらん

 

演劇をとりあげるまでもなく私たちは

つねにこの演劇状態ではないかしらんと

身近な人々はおろかすれ違っただけの人映画の中の人

 

私と他者違う肉体に宿っているというだけ

それ以外どこも切り離すことはできない

私たちを取り巻いてるすべてとも切り離すなんてこと

 

私たちは

無数の他者の集まり

他者はこの私を成している、と

 

内なる他者をすべて抱きとめるとき

そのすべてを観てる存在を

あるとき己の中に私たちは観るのです

 

 

聖書のなかでワタシという方

聖書の中でワタシという方に会いたいと

幼い私は思いました。

ワタシという方は私の中に。

そうワタシという方は私の仁なる方でした。

 

種の中のさらなる中心なる方でした。

ですから宗教は関係ありません。

あなたが何を信仰していようが

あるいはしてまいがまったく関係ありません。

 

人間存在の格の問題ですから

宗教の違いは問題ではないのです。

その格の存在を突き詰めることにおいて

実際仏教はとても助けになりました。

 

聖書の中のイエスの理解に般若心経は

私にとってはとても参考になったのです。

特にも秋月龍みん氏の「般若心経の智慧

何度繰り返し読んだか分からないほどです。

 

格なる方に出会った人々が語り伝え

形をなしたのが仏典であり聖書なんですね。

また昔から語り継がれてきた物語にも

同様の意が読み取れ感動します。

 

 

 

 

 

常に私たちに呼びかける存在がある

それは私たちの深奥に在って

私たちを招き私たちは招かれる

 

私たちの深奥に在る”仁”

その存在に出会ったとき

私たちは問われる

 

わたしを誰と言うやと

問いに独りで答えなければならない

これほど孤独な対話はない

 

 

他者に生かされて

食べたもので私の体はできていて

想ったもので私の魂は維持される

 

想ったものは次つぎにうつりゆき

なので私は一瞬一瞬死んで生きる

 

私というものは元々なく数多の命

他者が私を生かし私は生かされる