生まれる前から私はあなたを知っていた
私の中には数えきれない多くの顔がある
多重人格の話をしてるのではありません
幼き日私は両親を始め家族や私の周りにいた人びとから言葉というものを覚えていった
保育園小学校中学校そして高校と進んでその時その時周りにいた友達や先生たちにも当然影響を受けて育った
その時どきの彼らの言葉しぐさ幼児期はほぼそっくりそのままだ
ゆえに生まれ土地の方言を操ることができた
甥っ子が幼稚園児の頃のことだが私に童話を話して聞かせてくれたことがあった
”おお方言を喋ってる!この子は天才か”と感心したことを覚えている(笑)
私というものを成してる”ことば”は彼らからの預かりもの借りものだ
長じるに従って本も多数読むようになった自分でお金を稼げるようになってからは多少は映画音楽演劇にも触れていきそれらが私というものにさらに肉付けしていった
これまで出会ったあらゆるものが私を形作ってきた
ただそれだけではないことに私は人間存在の不思議を見る
”思うことができるそれが奇跡”
私たちの奥の奥には魂の種があってその種の中にはさらに芯なる仁があって
その仁が発する”ことば”と成長するにつけ身につけてきたことばとの対話によって私という人格が形成されていったと思っている
その仁はどこからきたのかは謎だが生命のタネだと私は思っている
仁というものに気づいたのは10ばかりの頃
そのときの体験は生まれて初めての大きな衝撃だった
その事はまさに青天の霹靂と言っていいほど私の魂の方向を決定的に方向づけた
しばらくはその事実を信じて受け入れていた
が時を経るほどに気づいた他の人は誰も知らないようだと
周囲との違和感は子どもにしてみればそれはそれは強烈だ
さらに思春期を迎え魂ではなく頭で考えるようになる
するとそれは矛盾に満ちていて私の中で違和感が生まれ
苛まされるようになり居心地の悪さが日々増していった
事実を拒絶し世間を常識を優先し結果私は壊れた
10数年という時が流れ己の中の戦いに耐えられなくなった私は白旗をあげた
もうどうにでもなれとね
どうなってもいいからあの原点に戻ろうと
私がしたことといえばこの決断だけだったのだが
そこで再び仁に出会った
己自身に帰ることができた
あるがままの自分そのままの自分に戻ることができた
私というものがあるのではなく”仁”とその時々で出会う言葉との対話で私は生まれ続ける
死んで生まれ生まれて死ぬをずっと繰り返していくのだろう
実は仁に気づく前も出会っていたのだけど認識はしてなかった
”彼”は”違う”というやり方で私とコミュニケーションを取っていたのだ
答えはわからないが”違う”ということはわかっていたから
”ああ生まれる前から私はあなたを知っていた”