一滴の水が

『本当に魂のことをしようとねがう者は、一滴の水が地面にしみとおるように、それぞれ自分ひとりの場所で、「救い主」と繋がるよう祈るべきなのだ。』3たび「100分で名著 大江健三郎 ”燃あがる緑の木”」から

 

己が掘り下げた穴によってしか「救い主」には繋がらない。

いくら聖書を勉強しようとも招かれたときその招きの穴に入っていく決心をしないかぎり「救い主」には出会えない。

聖書はそもそもその穴への誘いであり招きであり呼びかけなのだから。

 

決心さえすればその後は「救い主」自ら運んでくださる。