『注意力は祈りの純粋な形』だとヴェイユは言っている
タイトルはEテレ「100分で名著 大江健三郎 『燃える青い木』」から
続いても同番組から拾ったもの
今何が苦しいのだろうということやどうしたいのだろうということでもそれは”祈り”
目の前の人に向かって
「あなたはどのように苦しいのですか」と尋ねるまさに注意を傾けるということ
「僕にはあなたが見えています」ってことじゃないですか?(by伊集院光)
見なかったら存在していない
意を傾けることによって苦しんでいる人たちは僕たちの前に一人の人間として存在しうる
見てるよという言葉は励まされる
注意というものは祈りというのは人を支えるもの
これはそっくりそのまま自らに向かって行うことで良く理解できると思う
私の場合内に向かって問いかけたときすべてが始まり
既成の宗教的思考に依ったとき自らを見放すに至った
己を取り返す切っ掛けそれは源点に帰るという決心と
それによって己への注意注視注目で再び己を取り戻すに至った
ということにこの放送で改めて気づいた
そしてこれは当然他者に対しても同様に活らく
なぜなら内なる己は他者だから