地球に落ちて来た男

 

「地球に落ちて来た男」という言葉を聞いたとき、「そっか、自分のことをそう思えたならばずいぶんと楽だったのではと」と思った。私だけではなく一番関心のあることを共有する相手がいないと嘆いてるあるいは嘆いたことのある人にとってこの言葉は共感できるのではないかしらん。

 私たちは誰一人として自分の感じたこと思っていることのすべてを共有することはできない。だから人間は基本孤独な生き物なんだと思う。個をとことん尊重した結果だとはいえるのではある、だけどそこに人の尊厳をみるようになるまではこれは相当過酷な環境であると思う。子どもにとっては特にも。

他者とことば(心)が通じないと思ったことないという人少なくないと思う。

特に思春期なんて時期はどっぷりど真ん中。

自分自身異星人かもとまでは思わないまでも孤独という生半可な言葉では表せないほど周りとの違和感を感じていた。

当時「地球に落ちて来た男(女)」って言葉を知っていたなら少しは気がまぎれたかもと思う。

だって事実私たちって言葉では真には心を通わす事はできないもの。それどころか誤解しあうことの方が多い。

宇宙から来たと思えば通じなくてもまあ寂しいけど仕方ないかって思えるじゃない。

それにまんざら嘘でもないと思う。だって思う事が出来ること自体が私にしてみれば奇跡であって、この「思い」ってどこから降ってくるの?

それに私たちの肉体を作っている物質も地球を構成してる物質も宇宙からじゃない?。

 

だけど言葉に頼らず通じるということがあるのも事実で、これが起きるのは全くもって奇跡に近いことだけど実際「ある」のです。

それも人間間だけのことではなくて他の動物や植物とでさえもね。

このことを一度でも体験したなら生きていけます。

そしてこのとき宇宙との一体感を感じることになります。

 

ちなみに「地球に落ちて来た男」これはデヴィド・ボウイの主演映画のタイトルとのこと。