祈る

 
真に祈るときまるで天と地の間に浮遊してるようだと私は思う。
自分をつなぎとめているものから離れ上にあるモノに身を預ける。
あるいは斜め上から頬をなでる風に身をまかせる。
その状態が祈るということではないかと私は思う。
 
本当に祈るというのは大いなるモノとの対話なのだからどこにも自分を
つなぎ止めることなく浮遊していなければならない。
そうでなければそれは祈りではなく一方的な願い事になる。
決して”聴く”体勢ではなくああしてくれこうしてくれと
命令してるようなものだと思う。
本当の願いあるいは本当に願うとは向こうからやってくるものだと思う。
こちらからのかってな願いではけっしてないと思っている。
かってな願いではないが願わないことには繋がらなことも確かでこの場合の願いは願ではなくて祈りに繋がる願いだと。
誰の思想にも頼らずたった独り”向こう”のコトバに”こちら”のことばを合わせる。
ここにしか”祈り”はないと思っている。
 
そんななかたまたま観た「SWITCHインタビュー達人達」(NHK)の中で船越桂(彫刻家)が作品『水に映る月蝕』の説明で彼が言った”祈り”と言う言葉がとても印象に残った。
『この腕が翼ってわけではないんですけど、お腹の丸みと手の形で浮いている姿に思えてひとつ考え方のヒントになって祈るっていうのはこう現実から少し離れられるあるいは大地から離れるという姿をとれば「祈る」ということにならないかなと思った。』
 
 
『祈る=息にのる』これは親愛する故押田神父のことば