外を求むべからず
「般若を修する菩薩なり。人々(にんにん)みな観自在なり、外を求むべからず。
外に道を求めていたとき
私は飢え渇き
悶え苦しみあがいた
独りを引き受けたとき渇きは止み
飢えは満たされ命は甦った
このカラクリを見事に説明してくれたのがこの文章だった
”外”は虚であることを
独りになれば全生命と繋るということを
独りでいるからこそ孤高の存在と繋がっているということを
『学者が真理を探究するのも、道徳家が善を求めるのも、芸術家が美を求めるのも、宗教家が聖なる境地を求めるのも、すべて、外に何かを理想として立てて、それを追いかけるのを餓鬼道と仏教では言うんです。
ですから、「真・善・美・聖」であっても、学問でも、芸術でも、道徳でも、宗教であっても、善いことであっても、悪いことであっても、外にものを追いかけている世界は苦しみの世界だと仏教では言うんです。外に理想を立てて、それを追いかける、すなわち理想主義は、道徳の極致ですが、宗教の世界ではないと言うのです。』
『般若心経の智慧』(秋月龍みん著)