バナナが食べたい

バナナが食べたい バナナが食べたい バナナが食べたい バナナが食べたい バナナが食べたい バナナが食べたい ほんもののバナナが

浦島太郎は私だった2

玉手箱を開けておじいさんになった 手を叩くと音がでる 片方ずつ叩いても音は出ない まず叩くことすらなりたたない こんな自明のことを確証を得ようと 玉手箱を開けたのはわたしです Like0

浦島太郎は私だった1

開けてはならないと言われた 玉手箱を私は開けてしまった 食べてはならないと言われた りんごを私は食べてしまった 生命があふれ光に満ちた世界 ほんとうにあったのだろうか 「そうだよ」が得られなくて 己を疑い思いあぐねのたうち 十代にして私は老いさら…

マリアと観音菩薩

マリアは人間なんだから崇拝するのは 偶像崇拝だという考えがありますが マリアはあなたの内なる聖母神 その聖母神にあなたも出会いますようにとの願いが 呼びかけがあのマリア像なんです 仏教でいうとことの観音菩薩に通じるでしょうか

ありのままを

肯定してくれる人を求めたが出会えなかった 己が己を受け入れなかったからだと 無知不遜を後に恥じた 自分を受け入れたとき何かが起きる 何かが発動し誰かに出会う そして生命の神秘に触れる マリアがお手本を示したように 己の墓を覗き込もう ありのままの…

聖書は一句一句が招き

聖書は一句一句が招き イエスによる招き「私のもとにいらっしゃい」 招きに応じて目の前の扉を開けるかそれとも 選択権は人間に与えられてる 意味不明な物語 その一つひとつが招き どれが扉になるかは人によって違う しかしその人に一番あった扉が用意される…

水にながす

水に流すとはなかったことにすることではなくて 己自身をまるで第三者がごとく観る うらみつらみ怒り悲しみetc 浮かんで来るたび そうするとだんだんと薄くなって いつのまにか消え去って行く ものごとによっては長の年月かかるかもしれない がいつしか癒さ…

なりきる仏教

仏教は真実になりきり キリスト教は神の前に立つ真実 とある仏教学者がおっしゃったけど なりきらなければイエスには出会えない

すべての人とともに

イエスという方は 特別な人と共にいるのではない すべての人とともにいる 仏教には真人真我 ということばがある

私が出会ったイエス

聖書の中でワタシという方に会いたいと思った 「ワタシだ」私の深奥から 神とは 人とは 命とは 果てしのない旅がそのとい始まった 小学高学年だった

仏教によりキリストが

イエスが何者であったか 理解を助けてくれたもの 仏教徒による様々な智慧 かたり継がれてきた昔話 そして 日々を丹念に生きること

私がないときに

私がないときにワタシは在る 問いかけられるときワタシは在る 風が光が雨が花が草木があなたが あらゆる物事が私に問いかける 問いに応えるときワタシは在る 私があるときワタシは消える

なにをおそれるか3

♪神さま神さま私たちをあなたの良い子にしてください♪ 日曜学校で数えきれないほどに歌った いつしか良い子でないこと良い子でなくなることに恐怖した 間違わないよう間違った生き方をしないよう毎日ビクビク ところで”神さまの良い子”って? 今私は知ってる…

今を生きる

いま感じてることを いま思ってることを すべて受け入れると いうことはあらゆる 想い荒れ狂う思いに 心を添わせることだ 世の常識を逸した事 人類の教科書にない できごとあらゆる事 しかしそれは自我の 死を意味しその自我 は死に物狂いに抗う 気づけばま…

もうけものの人生

導いてくれたこれまでのことを捨てさるよう促された 内的促しと呼ばれるものでたっぷり3年4年と続いた それまで己を支えてきた思想及び神秘体験を含む諸々 それらすべて捨て去るようにという促しだ その理由は独り立てということだと理解している たった独…

流れに添うて

心の流れをながめる 様々なものが流れる その一つ一つに心を 添わせる一つ一つに 我が物顔に操作する ことなく一つひとつ 流れくるものを愛で つつ死ぬまで生きる 初めて会う気持ちで 一つ一つにときめき そんな風に生きたい と願う今日このごろ

初めまして

初めまして”わたし”というあなた あなたは何を思い何を感じているの 知らない海に入るように探検します まるで記憶をなくした人間のように 毎瞬間死んで生きようとおもいます どこかでお会いして気づかないかも だけどあなたのことが嫌いだという ことではな…

ほんとの自分を生きる

こんなタイトルつける理由とは!? それはどうしても世間に迎合してしまう自分がいる から 真に力(パワー)があるのは真莪だと分かっていても 己に逆らわずごまかさず誠に生きることだと 知っていてもいや知っていながら 現実(の世界)に生きていると 知ら…

地球に落ちて来た男

「地球に落ちて来た男」という言葉を聞いたとき、「そっか、自分のことをそう思えたならばずいぶんと楽だったのではと」と思った。私だけではなく一番関心のあることを共有する相手がいないと嘆いてるあるいは嘆いたことのある人にとってこの言葉は共感でき…

なにをおそれるか2

私たちは生まれたときから良い子にと育てられる 家庭で学校でその小さな社会でことあるごとに言われる 良い子になりなさい 親の言う事を聞く良い子 先生の言う事を聞きなさい そのうえ神さまの良い子に?! 人間社会での良い子と神さまにとっての良い子は意…

なにをおそれるか

なにより恐れたのは自分になること そして自分であること そして今もその名残はある なぜなの わたし? 自分が思っていたところの自分を捨てる恐怖 他者が持っているだろうところのイメージを壊す恐怖 自分も知らない全き新しい自分を生きることの恐怖 これ…

孤独な鳥の条件

孤独な鳥の条件は五つある 第一に孤独な鳥は最も高いところを飛ぶ 第二に孤独な鳥は同伴者にわずらわされずその同類にさえわずらわされない 第三に孤独な鳥は嘴を空に向ける 第四に孤独な鳥ははっきりした色をもたない 第五に孤独な鳥は非常にやさしくうたう…

ジキルとハイド

自分の中に闇を見それらを丸ごと受け入れるには命を削る覚悟なしには出来ない。 実際は命を削るという言葉すら甘くてある意味死ぬ覚悟で望まないと出来ない。 己の闇を観ることの過酷さをつぶさに描き出している映画「ジキルとハイド」。 Mary Reilly 役のジ…

あるがままうけとめたとき

自分が(観たこと)体験したことを 肯定してくれる人に出会えなかった そうだよと言ってくれる人が 周囲に誰もいなかった 誰もソノコトを知らないのだと 幼い子ども心に気づいた 子供だった私は絶望ににた 思いにかられ悩み苦しんだ 出会えなかったのは 自分…

墓の中に見たもの

わねたみうらみそねみ いかりあせり 悪意殺意後悔 異臭悪臭死臭 ひからびた己の骨 黒く汚れた己の肌 墓の中に 私が見たもの 3日が経ち さらにその奥に それらを通して 私が見たものは ”だれ”かだった すべてを赦す存在 共なるかた 真莪だった

祈る

真に祈るときまるで天と地の間に浮遊してるようだと私は思う。 自分をつなぎとめているものから離れ上にあるモノに身を預ける。 あるいは斜め上から頬をなでる風に身をまかせる。 その状態が祈るということではないかと私は思う。 本当に祈るというのは大い…

甦りの記録

外に真(まこと)を求めた日々は 空しく彷徨うよりなく 求めても求めても 渇きひりつき餓えもがき 求めても求めても 癒しはどこにも見いだせなかった そしていつしか私は死んだ 自ら覚えることなく 億年の時をへ 命の不在に耐えかね 己の墓を覗き見た(マリ…

自分の感情を自分のモノとして勝手に操って

自分の感情を自分のモノとして勝手に操ってる おそらく物心ついた頃から当たり前のように なぜだろうどこでエデンの外へ それとも一旦外へ出ないことには戻ってこれないとか 選ぶのは人間に任せられていることだし そういうことなのかしらね 一度出て迷子に…

招く声

聖句は数多く在る扉の一つ 生命への招き 頭で読んで入っていける世界ではなく 招かれて初めて入ることができる 招きはいつも向こうから こころの深奥から魂の奥底から 自然界の中に日常の中に 苦悩のなかに歓喜のさなかに その体験から物語は生まれ 語り継が…

" not too much God, not too much selfish "

" not too much God, not too much selfish " 自我を排除すると神は誕生しない このカラクリを知るのになんと長い年月を要したことか 右に傾いたり左に傾いたり 上(天国)に傾いたり地(俗世)に傾いたりと それらの全部が同時に存在すること 人間の浅はか…