人は苦しい時や辛い時に必要としている本に出会う

人は苦しい時や辛い時に必要としている本に出会う

 

これは大江健三郎が言った言葉として

たまたまつけたEテレ「100分で名著 大江健三郎『燃えががる緑の木』」で紹介された

 

私の体験でも同じことが起きた

も少し言葉を足すならばその一冊に出会うまでおよそ20年以上苦しんできたわけなんだけどその出会いはまさに劇的でその時の私は己の足を持って踊りたくなる程の喜び衝撃だった

なぜなら苦悩の長年月の間もずっと求めて生きていたのに出会うこと叶わなかったのだから

そして出会った後で気づいたことだが

私の場合己れがしがみついてる手を離したその時出会いが起きたということ

あの方はその時を待っていたのだ

かつその長い苦悩の期間が私には必要だったということも

自ら手を離すのにそれほどの時間が私には必要だった

 

しがみついていたものそれは

「そうだよ」という同意だったのだ

そのとおりだよと受け入れてほしいという

他者依存だった

その願いがすべて砕かれたときようやく決断できた

「受けいれる」と

己の魂の原点に戻ると

そうやって腹を括ったとき風が動き出会いが起きた

 

 

 

『注意力は祈りの純粋な形』だとヴェイユは言っている

タイトルはEテレ「100分で名著 大江健三郎 『燃える青い木』」から

続いても同番組から拾ったもの

 

今何が苦しいのだろうということやどうしたいのだろうということでもそれは”祈り”

目の前の人に向かって

「あなたはどのように苦しいのですか」と尋ねるまさに注意を傾けるということ

「僕にはあなたが見えています」ってことじゃないですか?(by伊集院光

見なかったら存在していない

意を傾けることによって苦しんでいる人たちは僕たちの前に一人の人間として存在しうる

見てるよという言葉は励まされる

注意というものは祈りというのは人を支えるもの

  

 

これはそっくりそのまま自らに向かって行うことで良く理解できると思う

私の場合内に向かって問いかけたときすべてが始まり

既成の宗教的思考に依ったとき自らを見放すに至った

 

己を取り返す切っ掛けそれは源点に帰るという決心と

それによって己への注意注視注目で再び己を取り戻すに至った

ということにこの放送で改めて気づいた

そしてこれは当然他者に対しても同様に活らく

なぜなら内なる己は他者だから

 

 

 

マリアさまと観音菩薩さまは

マリアさまと観音菩薩さまはママンの最高位

私たちがあらゆるものをそのままに受け入れたとき顕現する

マリアさまが近い人にはマリアさまが

観音菩薩さまがより近い人には観音菩薩さま

以外の方を持つ方々にはそれぞれにそれぞれの存在が

 

そう私たちの内で眠っていた聖母神が顕われるのです

聖母神はすべてを受け入れる方

マリアは「成れかし」と

神からのメッセージを受け入れ

神の子を宿した

 

 

ほんとにあったウソのようなはなし

9,12

当時新聞もTVもなかった私が9,11を知ったのは

翌日の9,12だった

地元の温泉の休憩広間でさっきから同じドラマを

延々と繰り返してることに気づいた

なのに誰も何も言わない

チャンネルを変えようともしない

 

隣にいた母に聞いた

「何これ?」

あきれたように母は言った

「あんた知らないの?」

 

ブッシュ!

事件を知った私に降りてきた”名前”

 

 

表裏一体

Not too much God,

not too much selfish.

Otherwise,life too crazy.

You lose balance,

you lose power.

 

In mornig, you do meditation from India.

Serious, very serious.

In day, you enjoy Bali.

 

私たちはどちらかに偏ろうとする。

善or悪 右or左 神or自我

 

しかし

”神はあなたの中にいる

神は私と共に私の中にいる”

God dwells within you as you.

God dwells within me as me.

 

神&人 聖&俗 表&裏

私たちはしかしどちらか一方に寄ろうとする

一方だけを取ろうとする

表があれば裏があるのが必然なのに

裏を消し去れば表も消える

 

 

(英語表記部分は映画 eat pray love から)

 

 

Jupiter

♪Every day I listen to my haert

ひとりじゃない

深い胸の奥でつながってる♪

 

平原綾香が歌ったJupierを初めて聴いたのは確か紅白だったと思うが

衝撃だった

この言葉をエンターテイメントとして聴ける人が羨ましいと

そのとき思った

 

この世界を知ったのは小学生のときだったが肯定してくれる人は

誰もいなかった

 

♪このそらの御胸に抱かれて♪

そう私たちはすべてと繋がってる

そのことを体験したとき歓喜に包まれた

だが長くは続かなかった。

知ってる人は誰もいないと気づいたから

それから自分を疑うようになった

 

♪夢を失うよりも悲しいことは

自分を信じてあげられないこと♪

自分が信じられないこと

自分を疑うこと

これほど悲しいことは人生においてない

 

♪Every day I listen to my haert♪

そしていつも応えは帰ってくる

 

 

以上たまたまつけたTVで平原綾香さんが歌ってて

思ったこと

 

 

 

 

矛盾のきわみに

すべてには表裏があって

その片方だけでは真は観えてこない

仏法が中道を言うのはそういうことだと思う

 

その双方を観ることで全体が観えてくるそして

全体を観ないことにはコントロールすることはできない

 

しかし私たちはその片方の面だけをみるよう

生まれ落ちたときから促される

 

良い子でいなさい

親の先生のいうことをききなさい

 

それは悪いことそんなこと言ってはいけません

人を悪く思ってはいけません

 

そして私たちはそれらを捨てさる

捨て去ったと思い込んでる

 

しかしそれらは裏に隠れてるだけ

蓋のしたにはそのまま残っている

 

観ないかぎりそれらは流れていかない

観るから水に流れていく

 

この真理になかなか思い至らない

矛盾の極みに真理があることに